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どうして「労働者エスペラント運動」というものがあるのか

エスペラントに対して懐疑的な人は、「いわゆる “重要な" 他の言語に比べたらエスペラントは便利には使えないでしょう」、のように言いがちです。しかし、もしそのような見解の人の中に左翼に好意的な人がいて、労働者エスペラント運動の存在を知ったなら、労働者全般にとってエスペラントに暇つぶし以外のどんな良さがあったのか知りたくなるかもしれません。ですからここで、進歩的労働者その他が過去にエスペラントを学び、活用したこと、また今も活用していることの理由を再検討しながら、エスペラントが暇つぶし以上のものであったことについて論証していきます。

まず言えるのは、エスペラント(ここでは言語そのものと、その話者により形成される共同体の両方を意味します)は、外国から誰かへ連絡をとるときに、実際に使えるものだということです。もちろんエスペラントだけが連絡の手段ではありません。選択肢というものは、言語にしても連絡の方法にしても、なるべく多様であった方が良いというものです。ほかの言語と比べた場合、エスペラントの注目すべき利点は少ない利用者数にもかかわらず利用者が世界中にいること、そしてその人たちがほとんど例外なく外国にいる様々な人とのやり取りを好んでいるということです。好きでなければ、みな苦労して言語を学ぼうとなどしないものです。

すでに1887年以来エスペラントは存在しており、今も衰退していません。20世紀のはじめの10年間で労働者のエスペラント学習者は次第に増加し、数年ほど先行して形成されていた主流のエスペラント運動 (いわゆる「ブルジョア・エスペラント運動」) とは別に、自分たちの組織を創設しはじめていました。この頃エスペラントは東アジアにまで伝播しています。中国で最初にエスペラントを学習したのは、ヨーロッパのエスペランティストの労働者と連絡をとろうとしたアナキストたちでした。 (中国のアナキストエスペランティストについては次を参照。Anarchistischte Bewegung in China 1900-1972, Anarchistische, Badische Federation/Gruppe Freie Sozialisten Karlsruhe, 1977 / The Origins of the Anarchist Movement in China, 1968, "Internationalist" en Londono)

1920年代の世界の労働者エスペラント組織を始動させたきっかけのひとつは、第一次世界大戦の際、多くの労働者が外国の労働者への接触を活発に探求したことにあります。こうした人々のなかから、「忙しい自分たちにとって、割ける空き時間で簡単に超特急で学べる唯一の言語はエスペラントだけだ」という認識がでてきました。そんなとき、まさに戦争が、「支配者層の側からナショナリズムで国民を操作するのには、われわれ各国の労働者階級がお互いに孤立している状態が、ますます都合がよいのだな」と実感させたのです。

当時、社会主義、共産主義、アナキズムなど数々の左翼傾向と結び付いた大きな文化運動があったことは、当然この労働者エスペラント運動の助けになりました。こうした文化運動はエスペラントによる行動の理想的な場と認識されました。たとえば共産党は様々な国の労働者どうしの文通を奨励しており、実際にエスペラントはその目的で広く使われていました。 ただしそれはスターリン時代の前までです。スターリン体制下のソ連では、エスペランティストは迫害されています。
(詳細は次を参照。 「危険な言語」 ウルリッヒ・リンス 栗栖継訳 1975 岩波新書)

第一次世界大戦後、プロレタリア・エスペランティストの数は急速に増加し、「政治的に中立である」(という振る舞いを今も当時もしつづけている)既成エスペラント組織への加入を以前にも増して厭うようになりました。というのも、プロレタリア・エスペラントの側から見れば、中立運動が忠実にそれぞれの国家を支持していたことは、ヨーロッパ各国の戦時総力戦をもたらすことにつながっているものであり、非常に根深い妥協をしているように映ったのです。何か継続的な労働者のエスペラント組織が必要でした。

そういうわけで1921年に創設されたのが「国境なき全世界協会(世界無国民性協会)」、エスペラントで「 Sennacieca Asocio Tutmonda : SAT(サート)」でした。名は体を表わすといいます。労働者階級の組織という発想で設立されたのですが、自らを政治的に限定することをよしとせず、それゆえ「社会主義」やそれに似たような名称を加えませんでした。はじめから、できる限り広い範囲で様々な立場の左翼系の人々が自由に意見交換できる場所となることを目指しました。ただ、どの派閥にも共通して非常に強く感じられたのは反ナショナリズムの雰囲気でした。設立グループはインターナショナリズムを乗り越える第一歩として「没ナショナリズム的」な構造を用意し、また名称にもその原則を冠しました。それほどにもナショナリズム的な影響を小さくしたかったのです。十分な言語能力をもったエスペラント話者だけが、国別セクションによる仲介なしに入会できます。SATの座右の銘はこうです。「SATの人間は、ナショナリズムを超えた知覚、思考、行動を、当たり前のものにしていくのだ」

同じ意味あいで、SATの重要人物エウゲーノ・ランティ(Eugène LANTI)はこんなことを言っています。「諸国のプロレタリアの間で知的な交流がなされるといっても、実際のところは複数言語を操れるインテリの媒介によるものだけだった。よって、世界の労働者が直接協働して親密になれることを目指すSATの活動は、本質的に革命的なことである」。 SATでは政治闘争に直接参加することで政治政党の役割を奪うということは考えられていません。そうではなくSATは文化組織であり、もっぱら労働者階級の教養を高めることに努めていました。教養こそが、実際の集団行動の際に国や民族というお互いの間に打ち立てられた壁を破壊する手だてになると考えていたのです。

1920年代後半の最盛期にはSATの会員は約6000人いましたが、その後は700人程にまで落ち込みました。衰退の理由は多岐にわたります。歴史を振り返る長い寄り道をしなければこれを説明しきれませんので、ここでは要点だけおさえましょう。まず、会員の大多数はエスペラント労働者運動の歴史となにかしら関係しており、政治的に左翼一般の困難とも関係していたということ。そして時にはSAT自体が、左翼であることと反ナショナリズム的であることを同時に保つことが困難になったということ。左翼で反ナショナリズムというのは、主流エスペラント運動とは明らかに分離した、異なる特色だということ。エスペラント運動の主流派は次第に民族的な差異を強調して文化を紹介するようになり(いわゆる文化主義的傾向)、民族や所属に関わる固定的なアイデンティティを強調した運動に傾いていきました。そしていまやナショナリズム的な言説が満ちあふれています。その現象はときおりSATにも表れているほどです。

エスペラントの一般的興味を減退させた一因には、以前にはエスペラントが期待されていたような役割を、現在では英語が効果的に達成していることにあるでしょう。多くの左翼もそうみているようです。しかしもっと現実を近くから子細に見てください。西欧においてさえ、すでに長いこと英語は学校や経済界における第一外国語であるため、英語学習は学校教育において有利な状況にあります。それにもかかわらず、ほとんどの人は、政治的な目的にせよ同じ英語を話す人と個人的に親しくなる目的にせよ、その目的のために英語を効果的に使えるだけの知識を十分に獲得しないまま学校を卒業していきます。エスペラントが世界中に導入される機会があるかどうかは別として、上記のような英語を学び使いきれなかった人たちの救済にエスペラントは役立っています。ブルジョア教育システムでは、競争の中で、自分は外国語を学べるんだ、という自信を失ってしまう迷える仔羊を生産しています。しかしそんな仔羊だった人のなかに、エスペラントと出会ったことで実は自分だって語学ができるのだ、と自信を獲得しなおしている人たちがいるのです。

エスペラントはそれを使う人に言語への興味を引き起こします。というのもエスペラントを話す人の中に、言語学、言語社会学、言語政治学にたずさわっている人が数多くいるからです。エスペラント界隈では、わたしが知っているほかのどんなグループよりも、ほかの言語(あまりほかの人が勉強しないような「変わった」言語をも含めて)の学びを刺激する場になっています。協力的で友好的なほかの仲間と翻訳作業に関わるのも、言語の上達にたいへんよい機会になります。 しかも強大なある一つの言語 ーつまり英語のことですがー のための作業とはまったく違った作業をするのです。国際的なコミュニケーションにおいて母語を全然もしくは滅多に使わない人たちの間に入っていくという、コミュニケーションの訓練のよい機会を得られます。一部の少数者にとっての母語である言葉を使うのではなく、話す人みんなにとって公平な方法になる言葉を使います。エスペラント話者は公平な言語コミュニケーションを促進させ、ほとんどの人が考えてこなかった世界規模の社会的不公平の問題を取り扱っているのです。

エスペランティストは、ほかの国からの旅行者を受け入れる伝統があります。頭の中でどれだけお金をつかってしまったかを計算しないで、休暇を旅で過ごせるのは、多くの人にとって非常に助かることです。泊めても泊めてもらっても楽しいものです。旅行だけが目的でエスペラントを学んでいるという人々もいます。

エスペランティストのなかには、エスペラントが国際的不和や文化帝国主義などの類のことに対する万能薬であると、ほかの人にも信じさせたがるような狂信者がいることは否定できません。しかしこうした狂信者は、最近は減ってきていると言えるでしょう。分裂というほどの事態ではありませんが、現在エスペランティストの間では、傾向的に二つのグループにわかれています。ひとつはエスペラント運動を保持することに執着し、エスペラントが世界的言語になるという希望を捨てないためには藁をもつかむが如くの人たちです。といっても、この「運動」は弱まる傾向にあります。そしてもうひとつは、エスペラントを代替的ライフスタイルの「共同体」の基礎と捉える人たちです。

エスペラントを趣味として扱っている人を見ると気分を害するエスペランティストもいますが、わたしは趣味でやるのも別に構わないことと思っています。趣味や自由時間での活動というのは、むしろ政治的角度から検討すべき事項です。

趣味であろうとなかろうと、エスペラントは政治的次元のことです。労働者のエスペランティストの、特にSATで「没ナショナリズム」(反ナショナリズムおよび世界普遍主義)な傾向の人たちは、ずっと前からエスペラントを高く評価してきました。エスペラントは労働者でこの言葉を使う人を実際的な「プロレタリア・コスモポリタン」の方向へと導く力があり、いたるところで蔓延しているナショナリズム精神というものから一歩退く力に関しては、インターナショナリズムよりも効果的です。

インターナショナリズムであることの何が好ましくないでしょうか? たいていは何も悪いことはありません。多くの人にとって、また多くの事情では、インターナショナリズムはナショナリズムに背を向ける正しい方向です。しかしながら、必然的に反ナショナリズムの立場からは、インターナショナリズムの考え方に、すっかり同調できない十分な理由があります。

a) インターナショナリズムはネーション(民族・国)の存在を暗に是認しています。実際に、国際主義者は通常、ネーションステートを正統な機関としてとらえて疑いを持ちません。

b) インターナショナルであるとき、必ずしも「反ナショナリズム」を伴うわけではありません。国際主義者はしばしば、民族を自然で敬意を払うべきものとして、また、民族的・国家的アイデンティティを恒久的で原初からのものとして、ナショナリズム的な思考を促進します。国家主義者が自分を少々「進歩的」と周囲に見せかけたいときに、「国際主義者」をよそおう理由もそこにあります。
労働者運動の伝統的な国際主義は、結局は労働者どうしが草の根的に国境を越えて連絡を取り合うようなことはしない、階級的な構造で協会をつくっていました。SATはそれとは逆です。可能な限り多くの地点にいる労働者をつなぎ、直接お互いが接触することで自分たちをナショナリズムという精神的な鎖から解き放ち、そうすることでナショナリズムの解毒剤であろうとしてきました。このような草の根からの思想、特にSATの没ナショナリズム・フラクションの思想は、今日では「下からのグローバリズム」と一般に言われています。SATはそれに先じていたわけです。

このことをエウゲーノ・ランティが「没ナショナリズム宣言」というよく知られた著作で次のように表現しています。「83年前に有名な宣言がなされた。“万国のプロレタリアよ団結せよ”だ。それにしたがって国際主義の指導者たちは、手紙にしても大会においてにしても、多少なりともお互いで連絡しあい、様々なインターナショナル運動がわき起こりはした。しかしそのほとんどは、翻訳や通訳を介してのことだった。一般的な方法では現実の“ その他大勢”は、まったくナショナルな枠に分けられたままだった。お互いの接触など全然なかった。例外的に直接接触する場所といえば、戦争時、恐怖の戦闘現場においてだけだったのだ」。

没ナショナリズム思想の人たちは、労働者の皆に呼びかけました。どんな民族的な闘争にも巻き込まれるな、階級闘争にだけ専念せよ、と。(ただし強く言っておかなければなりませんが、SATには様々な政治傾向のグループがあり、今でもこう思っている人は会員全体の一部分です)

現在のSATでは、階級闘争を最優先事項として位置づけること自体について懐疑的な人々もいます。しかし今日、左翼をひきつける目的で、自らを「反資本主義」や「自己決定」という煙幕にひそめて、どれだけ民族的アイデンティティや民族的事情の擁護がなされているかを考えてみれば、ランティの「ナショナリズム的な闘争」に対する警告の重要性は明らかなものです。主流エスペラント運動がやっていることは、ランティが「そうしてはだめなのだ」と言っていたことをまさにやってしまっている、わかりやすい事例です。主流エスペラント運動の諸々の有力派閥では、思慮のないままに、民族主義、汎ヨーロッパ主義、言語純化主義などのような運動を支持しているのが実情です。

もはや時代錯誤だという議論もできるかもしれませんが、SATの伝統的な思想のひとつに、「エスペラントはいつか世界的な国際語として認められるようになる」という考え方があります。初期のSAT会員は、主流エスペラント運動の人たちと同様の立場にたって、世界の最も重要な国際コミュニケーションの道具として、エスペラントこそがいつか他の言語との競争に「勝利する」と確信していました。しかし今日では競争に勝つかどうかという教条的な議論はあまりなされません。それよりも、特権をもたない人々のあいだでも、複数言語を操れたり、コスモポリタン的な世界への視野を持ち、コスモポリンタ的に生活することがごく普通にできるようになるための道具として、エスペラントが役立つことが望まれています。

まとめていうとこうなります。労働者エスペラント運動の組織であるSATは、世界規模でエスペラントを使うことによって、合理的に思考する人を育てることを目的としています。合理的思考のできる人は、様々な考え方や提起された事柄、傾向について、それぞれを比較したり、よく理解して、それらについて判断する能力を持ち得ます。こうした能力を持つことこそが、自分達の階級を解放するいちばんの近道を自律的に選べるようにさせるのであり、人類がもっとも高いレベルの文化と教養に到達できることにつながるからです。 SATはこのように考えています。

原文 Gary MICKLE (2007.10)
日本語訳 Viola ANDO (2008.07)

 

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